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南区で40年以上愛され続けた 伝説の「100円ラーメン」(2014年閉店)

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人生初の冒険は、近所にあったラーメン店「勝龍軒」だった。場所は福岡市南区、西鉄高宮駅前の高宮通り沿い。駅から歩道橋を渡った先に白の暖簾は掲げられていた。
看板メニューは俗称「100円ラーメン」。
その安さも手伝って、近隣住民だけでなく、夕方には福岡第一高校や筑紫丘高校など近所の学校に通う学生が集まる繁盛店であった。

勝龍軒 外観 写真提供/馬場健治

土曜日の昼、ごはん代として母から渡された5枚の100円玉をポケットに、初めてのひとりでの外食。いつも店の前を通るとおいしそうな匂いが漂っていた、100円でラーメンが食べられると有名だった「勝龍軒」を選んだ。
店の前には部活終わりの学生たちが順番待ちをしている。小学2年生の小僧にとってみれば彼らでさえずいぶんと大人に見える。「場違いじゃないか」というためらいもあったが、店からはあの匂いがあふれてくる。意を決して最後尾に並んだ。

勝龍軒 ラーメン 写真提供/馬場健治

初めての外食、初めての専門店のラーメン。とにかく美味しかった。興奮と感動のあまりスープを全部飲み干した。
「おばちゃん、替え玉、ください」
もう少し食べたくて、周りの高校生の真似をして、そう言ってみた。
壁のメニューには替え玉は50円と書いてある。ズボンのポケットの中にあった100円玉をオープンキッチンのなかのおばちゃんに見せる。
おばちゃんは小学生がきれいに食べあげた丼を覗きこんだ。
「ぼく、スープば残さな替え玉はできんとよ」
そう言っておばちゃんはカウンター越しに丼を持っていった。
(失敗した。丼ごと持って行かれた。替え玉ってそういうことなのか)
ポケットのなかのコインをまさぐっていると丼がいっぱいになって戻ってきた。
「今日は50円でよかよ」
そう言った後に少しほほ笑んだおばちゃんの顔が今も忘れられない。
初めて「替え玉」を知った夏の午後だった。

勝龍軒 店内 写真提供/馬場健治

おばちゃん、店主の青木英子さんは、1968年に「勝龍軒」を開店。オープン当初の価格は1杯70円だったという。あの「元祖長浜屋」が1杯350円だった時代だ。若い人たちに安くてお腹いっぱいになってほしい――そんな女主人の心意気から生まれた店である。1974年に料金を改定して「ラーメン」は100円になった。
スープはラードや獣臭がすくないあっさりとした仕立て。今の業界用語で言う〝シャバトン〟(スープがドロドロではなくシャバシャバとしていることに由来)だ。スープの海に泳ぐのは福岡でおなじみの中細ストレート麺。細切りのキクラゲと輪切りの青ネギ、そして出汁の材料としても使った〝再利用自家製チャーシュー〟がのる。記憶が確かならば、麺の茹で加減を注文する大人は「勝龍軒」にはいなかった。メニューはそのほかに「大もりラーメン」150円、「みそラーメン」200円、「しょうゆラーメン」200円、「勝龍軒ラーメン」150円、「ゆで卵」50円などがあった。

栗田真二郎
飲食店のブランディングやマーケティングにかかわる「キッチン」代表。執筆集団「チカラ」のクリエイティブディレクター/ブランディングライター/でぶグルメライター。

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